手持ちのスマホで自撮りをしてみた。

 

でも…

なんか、違う。

 

なんか、顔が長い。

なんか、鼻もやたらデカい。

 

はて?なんでだろう?

色々撮り直してはみたけど

なんか、どれも顔が違う気がする。

 

はて?はて?なんでだろう?

 

ネットで調べてみたら

スマホの自撮りは広角レンズとやらを使っているからだそうだ。

 

広角レンズとは、わかりやすく言うと近くのものを大きく写すものらしく

私と同じように、顔が長くなったり、鼻が大きくなったりする人はいるらしい。

 

なるほど。

 

じゃあ、どうしらいいのかなあ?といろいろ検索していると

自撮り用の可愛く取れるアプリを使えばいいらしいとのこと。

 

さっそくあるアプリをダウンロードし、パシャリと自撮りしてみたら

これが、可愛い。

テンション上がる!!!!!

 

でも…

全く自分の顔じゃない気がする…

 

はて?はて?

私の顔ってどれなんだろう?

 

広角レンズも、アプリも

私の顔を写してくれない…

 

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なんか、世の中には自分をクソだと思え

といってる情報発信者がいるみたいなので

今回はそのことについて自分なりの考察をしてみました。

 

 

自分をクソだと思え

ようは、自己否定しろってことなんでしょうけど

私が思うには、それはあくまでも肥大化した自我をなんとかしろということだと思っています。

 

 

そう、肥大化した自我

 

つまり、過剰な自意識のことです

 

実は、私は、多くの人が、かつての私と同様、

自己の存在価値とゆうやつに振り回されているのではないかと思っています。

 

常に視線が他人や社会が自分をどう見ているかを気にしてしまい

価値があることで安心感と優越感を得、価値がないこのことで劣等感と屈辱感を味わう。

 

その原因は、経験上、自意識過剰にあると私は思っています。

 

で、まあ自意識過剰に憑りつかれると自分を特別だと思いたがるんですよね(笑)

 

人よりもうんと価値のある存在でありたい…

 

いいえ、もっと正確に言うと

そうでないと困るのです。

 

だって、自意識過剰な人間にとって一番の恐怖は

無価値であることですから。

 

特別で価値ある自分は大好きで、無価値な自分は嫌悪の塊でしかない。

 

自意識過剰状態とはそういうものです。

 

だから、やたら自己評価が高くなったりします。

 

本当の自分は人一倍いろんなことに気が付いて

本当の自分は人一倍頭が良くて

本当の自分は人一倍優しくて

本当の自分は人一倍心がきれいで

本当の自分は人一倍モテてるはず

 

なんてことを真剣に信じて疑わないわけですね。

 

酷い人になると、

付き合ってもいない人と付き合っているはずだと思い込み

特別で大好きな自分を作り上げる為に

必死に自己を捏造するといった努力までしたりします。

 

まあつまり、歪みに歪んだ自己肯定が進むということですね。

 

それはまるで、アプリの世界の自分を見て美人だと信じて疑わない状態です。

 

恐ろしいですね。

まあでもわかります。

私もかつて、自意識過剰に振り回されまくった人間です。

 

私自身も自分を特別な存在だと思いたかったし

そうでない私は無価値であり、それは死を意味するくらいの恐怖でした。

 

無価値であることは生きている価値がないくらいに思っていました。

 

自分を特別だと思えると安心感と優越感に満たされ

自分に価値がないと思い知らされると恐怖感と屈辱感に心が支配されてしまう。

そういった心の状態に、私自身が長い間苦しめられました。

 

私の心は、長い間不安定なものでした。

 

そうして、こういった不安定な心の状態は、

安定感というものを手にしたいがために、

さらに自分は特別なんだという思いを強化させるものです。

 

でも、現実はシビアです。

 

いくら、

 

本当の自分は人一倍いろんなことに気が付いて

本当の自分は人一倍頭が良くて

本当の自分は人一倍優しくて

本当の自分は人一倍心がきれいで

本当の自分は人一倍モテてるはず

 

と思っていても、そういった現実はついては来てくれません。

 

それどころか、思いのほか

人よりバカだったり、

出来が悪かったり、

モテないなんてことは

しょっちゅうありまくりだったりします。

 

まあ、私自身も特別要領がいいわけでもなくモテるタイプでもありません。

どちらかというと勉強もできないですし、どんくさい方です。

 

でも、その程度のことは普通であるあるの話しなんですけどね。

 

もちろん、誰だって失敗したりすると落ち込んだりすることは多々ありますし、

それは人として普通のことだと思うのですが

 

なんというか、素敵な自分像にすがり付かないとやっていられないような状態…

素敵な自分じゃなくなるのが許せないのが自意識過剰な状態だったりするわけです(笑)

 

そういう状態ですと

リアルな現実を目の当たりにしてしまうと

今度は最初に作り上げた

歪みに歪んだ自己肯定が崩されるといったことになります。

 

ガビーン、想定外なほど全然私イケてないじゃん。

ってやつですね。

 

では、この崩された自己肯定が自己否定なのでしょうか?

 

私はそうは思いません。

 

歪みに歪んだ高すぎるほどの自己肯定から生まれた否定です。

 

それは、やはり歪んでるんですよね。

 

広角レンズで写す顔の様に。

顔は長いわ。

鼻はでかいわ。

 

通常モードが美人アプリであればあるほど

そのギャップに落胆し

半ば醜形恐怖症のようにアレルギー反応を起こすのです。

 

 

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世の中、自己啓発ブームな感じでネット上でも

自己肯定がどうとか

自己否定がどうとか

言われていますが

 

私は自己肯定も自己否定も土台が自意識過剰から生まれたものは

歪んだものだと思っています。

 

極端に肥大化された自我から生まれた肯定も否定もやはり歪なものだとおもいます。

 

それは、広角レンズやアプリで自撮りした顔と同様のものだと思っています。

 

広角レンズは歪んだ鏡だし

カメラアプリは自惚れ鏡だし

どちらも、自分の顔とはかけ離れていますものね。

 

自意識が過剰な状態では

ヘンテコな鏡ばかりを手にする羽目に合ってしまいます。

 

私の思う自己否定と自己肯定は

できるだけ、正確に写る鏡で見た世界を言います。

 

どうでしょう?

正確に写る鏡の世界で見る

あなたの顔は絶世の美女ですか?

 

もしも、そう思えたのなら幸せ者ですね。

恐らく、今このブログを目にしていることもないのではないでしょうか?

 

ですが、私のこのブログを読んでいるということは

あなたも、私と同様に醜い部分を持ってるのではないですか?

 

人間としての嫌な部分であったり弱い部分です。

人に害を与えてしまうような部分です。

 

ありますよね。

私には、あります。

 

私が思うには

この状態を、きちんと冷静に認めることが

自分をクソだと思えだということです。

 

ようは、スッピンをガン見しろの状態です。

自惚れ鏡でもなく、歪んだ鏡でもなく

スッピンのブスをちゃんと認めろという状態です。

 

クソな自分から自分や他人見つめると

まあ、自分にも他人にも冷静になれます。

 

ブスなんだから、当たり前のようにチヤホヤされると思ったら大間違い

 

必死に媚びたら相手は自分のこと好きになるとか有りえない

 

媚びさえうっとけば物もらえるとかお門違い

 

人に好かれることもあれば、嫌われることもあるし興味すら持たれないこともある

 

といった具合です。

 

つまり、自分や他人にたいしての異常な執着心が薄れていく状態です。

 

自分と他人の関係性を結果論だととらえる余裕のある状態です

 

それとは逆に自意識過剰状態とは己の存在を他者に認めさせることが目的となり

自分にも他人にも執着をする状態です。

 

恐ろしいですね。

 

他人から見た自分の価値にすがり付くのではなく

他人と自分の境界線を冷静にみつめること

 

そこが人間関係においても人生においても

他人軸に振り回されずに生きるための

スタート地点なのではないのではないでしょうか。

 

つまり、自分をクソだと思えというのは

 

肥大化した自我の状態を0に戻すこと

0地点を指すのだと思います。

 

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追記

 

自分のスッピン認めるのって嫌だし怖いけど

所詮、自分ですものね。

ブスだけど、所詮自分のこと。

この感覚は

私イケてるっていう強い自己肯定とは全然違う感じです。

所詮、自分事なんだという

クソもクソしたケツも自分だという

誰にもケツ拭いてもらえないんだという

自分でケツ拭くしかないという

それは、決して自分大好きという感覚ではなく

あきらめにも似た肯定というより否定と受容と歯をくいしばる感じが混ざったような感覚

まあ、しょうがないって言葉が似合う感じです。