私は、今年で43歳になります。

もう、充分、大人と言われる年齢ですね。

最近、とある小説を読み返しました。

その小説は、私が高校に入学したての頃に手にした本です。

淡いピンク色の花柄の表紙を見たとき、上等の和菓子みたいだな~と思ったのを覚えています。

私は、美味しそうなその本を、なんとなく手に取り、最初の1行を読みました。

なんとなく手に取った、その本の最初の1行を読んだとき、

”私は、これを、ずっと、探していたんだ”と確信しました。

もう、それは、動物的な感のようなものです。

なぜ、あのような感があの時はたらいとのか、今になっても具体的な理由はわかりません。

でも、”これだ!”というものを感じたのは確かです。

当時の私は、いろいろと、自分のことがわからない状態でした。

もちろん、思春期だからというのも、あったとは思います。

でも、私の場合は、小学生の頃に陰湿ないじめに遭い、それ以来、長い間、人間不信に陥ったことが大きな理由の1つにあげられると思います。

私は、学校が作り出す世界というものがとても苦手でした。

一緒にお弁当を食べるための友人

一緒にトイレに行くための友人

そうして、それらになじまないといけない雰囲気。

こういったものが、嫌で嫌で仕方がありませんでした。

人間関係につまずき、”いろいろと、うまくやる”といった方法を毛嫌いしすぎていたのかもしれません。

自分なりに”うまくやる”を定義化し手にするには、当時の私は幼すぎたのだと思います。

本当に、当時はとても苦しかったです。

毎日が、嫌で嫌で仕方ありませんでした。

そうして、何よりも苦しいのが、この苦しみを、どのようにしたら無くすことがわからないということです。

苦しみが

さらなる苦しみを生み

不安が

さらなる不安を生む

私の心はそんな状態に陥っていました。

これは、どんな悩み事にも当てはまることだと思いますが、解決策が見つけられないということは、人の心を不安定なものにさせます。

私は、常に憂鬱な心を持て余していました。

学校を卒業したら、この苦しみから逃れられるのだろうか…

まさか。

そんなわけ、絶対にない。

だって、学校は社会の模倣です。

そんなことくらい、15歳の少女にだってわかります。

学校を卒業したら、

どうでもいい余計な人間関係から逃れることができるのですか?

どうでもいい余計な価値観から逃れることができるのですか?

学校を卒業したら、

自由になれるのですか?

自分の人生を歩むことができるのですか?

学校さえ卒業したら、

人は大人になれるのですか?

本当は、

多くの人間は、永遠に学校に通うハメに遭う人生を過ごしているのではないのですか?

卒業しても

卒業しても

新たな学校に入学する。

何度も、何度も入学する。

意識的にも、無意識的にも。

もしかしたら、

多くの人は学校が好きなのではないでしょうか?

実は私はそんな風に思っています。

自由になりたい。

自分の人生を歩みたい。

そんな願望も、校則を破ることへの強い憧れからくるものでしかないのではないでしょうか?

校則を破る憧れは、校則(学校)が無い限り生まれないものです。

拘束から逃れる快感と自由は似ているようで、違うものです。

自由なんてものは、本当は誰もが手にしたいと思っているのでしょうか?

現に私は、高校を卒業し、晴れて着たくもない制服からオサバラをした後、

私の普段着る、私服を巡って、いろいろ嫌なことを言われる目にも合っています。

私服を着たところで、新たな校則は生まれるものなんだなあと私は思いました。

私の私服は、どうやら、クラスの風紀を乱してしまい、人に不快な思いをさせてしまったようなのです。

私は、嫌味を言われることで罰せられます。

学校が大好きな人は、ありとあらゆるところで、校則を作るものです。

いろんなことを、さも重大ごとのように扱います。

その重大ごとは、あなたが重大ごとにしたいから、したことに過ぎないという可能性を置き去りにして。

その重大ごとに、関心の無い人は、声を上げるということを、最初っからしないから声をひろうことすらできないという、真実を無視して。

どうでもいい、価値観は、こういう風にして作られていくのだと思います。

私の私服をいろいろといった人は、私のことが嫌いだったのでしょうか?

もちろん、嫌いの可能性もあるとは思います。

ですが、彼女たちが嫌っていたのは、本当に私や、私に付随するものなのでしょうか?

実は、私はそうは思っていません。

なぜなら、人に憎まれるほどの印象を与えることを、私はやってはいないからです。

故意に、嫌がらせをして、憎まれるというのなら、よくわかります。

でも、私の場合は、そうではありません。

彼女たちが本当に嫌っていたものは、私や、私に付随するものではなく、

自分たちの女の価値が崩されることへの嫌悪だったのだと思います。

自らの価値に必死にしがみつく女たち。

他人の私服ごときで、乱される程度の内面の人間にとっては

ささいなことが受け入れられず、耐えがたい苦しみと憎しみを味わうのではないでしょうか。

そもそも、彼女たちの女の価値観を作っているものって、いったい何なんでしょう?

恐ろしい校則を作っているのは、いったい誰なんでしょう?

そうして、その校則にどっぷりとはまっているのは、誰なんでしょう?

私は、学校が作り出す世界と、学校が大好きな人が苦手です。

でも、私には、学校を卒業する方法や、学校と上手く付き合う方法といのうのがわかりませんでした。

そんな時に、書店であの小説に出会うことができたのです。

この小説の主人公は、どこか学校の作り出す世界に違和感を覚えている少女でした。

そうして、この著者自身も、学生時代にいじめに遭い、学校の作り出す世界に嫌悪感を抱いている女性でした。

私は、彼女の描く小説の世界に魅了され、没頭しました。

私と同じような経験をし、同じような苦しい思いをし、そうしてそれを乗り越え、自らの人生を切り開いていった女性がいる。

彼女なら、私の知りたい世界を見せてくれるのではないかと思えて仕方がなかったのです。

そうして、実際に彼女からは、多くのことを学ぶことができました。

今の私がいるのは、彼女のおかげだといっても間違いはないでしょう。

もしも、この世に運命の出会いがあるとするのなら、

私は、15歳の時に運命の出会いをしました。

先日、20年ぶりくらいに、件の1冊をきちんと読み返しました。

当時、まだまだ、いろんなことがわからないまま必死にくらいつくように読んいた私

今、あの頃よりも、ゆったりとした、違った気持ちで読むことのできている私

そうして、いつまでたっても、あの頃と同じように変わらない思いで読むことのできる私

心の中で、いろんな”わたし”と”あなた”を思う気持ちが次々に溢れ出てきて、

気が付くと、普段、あんまり泣かない私が、泣いてしまうなんてことになっていました。(笑)

”無駄”を恐れてはいけないと、最初に教えてくれたのもあなたでしたね。

”何の役にも立たない多くの無駄を経験すること”でしか、人生を乗り越えていく術はないのだと、

失敗だらけの、上手くいかないことだらけの、落ち込んでばかりの、私に教えてくれましたね。

私は、つまづいてばかりの自分が大嫌いだったので、とても励まされたのを覚えています。

出会いで、人が変われるというのは、本当のことだと思います。

ですが、運命を感じさせるくらいの出会いなんて、人生の中でそう多く経験することはできないと思います。

彼女との出会いは、私の人生の中において、本当に大切な宝物です。

この思いは、きっとこれからも変わらることはないでしょう。

だって、”あなた”は私の運命の人なのだから。