私のしがみついているもの

それは価値です。

私は、あるときからずーっとこれに囚われてきたように

思います。

いったい、いつからなんだろう?

その存在を気になり出したのは…

たぶん…

少しずつ、少しずつ、

なんとなく、なんとなく

その、存在を知っていったような気がすします。

でも、最初は全然、心が苦しくもならなかったし、

囚われるといった感覚にもなってはいませんでした。

でも、あるときから、その存在は私の中でノルマのように、

こなさないといけないものになってしまった気がします。

そう、あの”いじめ”があったときからです。

“いじめ”の世界、

それは、圧倒的な”負け”の世界です。

いったい何の”負け”かというと

人が人につけた価値による”負け”です。

そう、私は、価値の世界で負けてしまった人間です。

あのときから、私は価値を憎みに憎んでいるくせに

それらを必死に身につけないと気が済まなくなったんだと思います。

いったい、なぜ、そこまで必死になってしまったのでしょうか

それは、自分を守る手段として、勝つ方法意外に考えられなかったからです。

そうして、その勝つ方法とは”価値”を手に入れることです。

そう、私は、勝ちさえ得られれば、なんだか、自分で自分を保てるような思いでいました。

きっと、傷つけられることが、とても屈辱的で怖かったのと

卑劣ないじめをする人間に、負けてるなんて考えたくなかったからです。

私は、なにがなんでも勝たないといけない。

必死になって、自分で自分を保たないといけない。

そうでないと私の心は屈辱感と恐怖心に支配されてしまう。

それは、すごく苦しいことです。

なんとか、安心したいと思ってしまいます。

だから、”勝つこと”を追いかけてしまいます。

でも、そうやって手にした安心は、本当の安心でも何でもないと思います。

それでも、私は不安で不安で仕方がないから必死に追い求めてしまう。

それは、自分を守るためであり、憎しみの対象に勝つためでもあります。

そんな事を繰り返すうちに、

いつしか、私の目は守ることと勝つことばかりを追いかけるようになっていき、

絶対的なものや、正解といったものに囚われていったような気がします。

私は自分に価値が無いんじゃないかと思うと

物凄い恐怖を感じます。

それは、負けの世界であり、死の世界でもあります。

でも、私はもう知っています。

絶対的な価値なんて、この世のどこにも存在しないことを

そうして、それを必死になって求めようとすることが

この歪みに歪んだ争いだらけの世界をつくることになっているということも。