”誰か”は、いろんなところに出現する。

私の家の中だったり

学校の教室の中だったり

たまに行く祖母の家だったり

いつも、いろんな顔をして出現する。

私は”誰か”のことを思うとすごく憂鬱になり、しんどくなる。

それは、”誰か”が、いったい何を欲しがっていて何を望んでいるかということが

なんとなく、わかるからだ。

でも、私はそれを見て見ぬふりをする。

私はそれをしっかりと見ることが怖い。

やりすごすほうが、楽に思えてしまう。

”誰か”はうまい…

いろいろとうまい…

私に、お手やお座りやハウスを覚えさせるためには

いろんな顔を見せてくる。

時には、まっとうなかんじで

時には、大義名分をおりまぜて

時には、被害者づらをして

自らのルールを強いてくる。

私はついつい思ってしまう…

いったい、なんであんたが得意げにルールを作り出すのって

 

教室内の”誰か”は私のことが、とにかく気にいらないらしい。

その、きっかけというか

理由って何だったんだろう

あれはたしか、

私がコットン素材でできた白地に黒の小花柄のワンピースを着ていたとき

”すごいね。ドレスみたい。”っていってたから、まあ、きっとそっち系だろう。

ある時”誰か”は

クラスで比較的人気のある男のが、私のことを好きになったらしいという話を聞きつけては

”あの子は(私のこと)止めた方がいいよ”とわざわざご忠告する。

もう、必死すぎてめんどくさい。

そうして、やってることがダサすぎる。

しかも、そのことに全く気が付いていない。

私が、どんな洋服を着ようとも

誰が誰を好きになろうとも

人に迷惑をかけていない限りはどうでもいいことなのに。

そもそも、”誰か”には全く何の関係がないことなのにはわざわざ前に出てくる。

まあ、でも”誰か”にとってはものすごく気に障ることなんだろう。

そうして、この”ものすごく気に障る”って感じが、教室内のルールを作り出すエネルギーになっていることが私にはわかってしまう。

だから、ものすごく、怖く感じてしまう。

教室内におけるルール…

それはいったい何が作り出しているんだろう?

人の居場所を無くさせるそのルールはいったい何が作り出しているんだろう?

 

人はよく居場所が欲しいっていうし、その気持ちはすごくよく分かります。

居場所があると、心地いいし、何よりも安心できる。

居場所とは、人間にとって大切なものだと思います。

ただ、どんな世界にも居場所があるとは限らないのではないでしょうか。

それは、小さな子供が、大人が出入りするようなお店には入れないように

いくら、よその家が羨ましいとはいえ、そこの家の子にはなれないように

世の中には、参加できる世界と参加できない世界があり、

居場所というのは参加できる世界でしか生まれないんじゃないのかなあと思います。

私は、それは、仕方が無いことなんだと思っています。

だから、教室内のルールというものは、みんなが参加できる部分を共有して、

自分自身に関係の無いものは、まあ、いくら腹が立っても仕方が無いもの。

どうにもならない。

そういうものだと思っていたのですが

なんだか”誰か”にとってはそうはいかないみたいで…

日に日に”誰か”はいろいろと細やかなルールを提示してくる。

時には、まっとうなかんじで

時には、大義名分をおりまぜて

時には、被害者づらをして

自らのルールを強いてくる。

そうして、いつしかそのルールは、はかったかのように教室中に蔓延する。

あの嫌な嫌な”いじめ”の世界が生まれる

私はすごくしんどくなる。

ものすごく負けた気持ちになる。

ものすごくダメな気持ちになる。

それと同時に、ものすごく”誰か”を憎んでしまう

殺したいくらい”誰か”を憎んでしまう。

だって、私は、たいして悪くもなんともないのに…

いったい、赤の他人が、私に何をそこまで期待してるんだろう?

いったい何がこのしょうもないルールを作り出しているんだろう?

いったい何が私に、お手やお座りやハウスを覚えさせようとしているのだろう?

私は、どうしようもなく人を憎んでしまい、私の心は憎しみに支配されてしまう

私の心の中にネガティブな支配が生まれてしまう