私は子供の頃から読書感想文が得意でした。

賞を取ったことも何度もあったし、

高校生の頃には、税金に関する感想文で

京都の税務署に表彰されたこともある。

一緒に表彰された女の子は、事前に渡された税に関する

資料を何度も読んだそう。

凄いな~と思った。

私なんかは、税金に関する難しいことの書いてある資料なんか読む気もしないので全く目を通していなかった。

ただ、自分にとって身近な消費税に関しての感想を書いただけ。

それも、速攻で。

そうして、賞をもらった。

 

私の感想文は、いつも書くのが速かった。

でも、そのわりには、評価が高かった。

ただ、私はそのことについて特に何の思い入れもなかったように思います。

感想文を書くことにも、評価をもらうことにも。

たいして、何にも思わなかったように思います。

もちろん、嬉しいことは嬉しいんですけどね。

まあ、ただそれだけって感じ。

なんで、そんな風に淡々としてられるかってのは自分でもなんとなくわかっています。

それは、

感想文だからです。

私は、あくままでも感想を述べただけの話にすぎないのです。

だから、別にどうってことない気がするんだと思うんです。

たとえば、この間、ASKAがシャブでまた逮捕されたけど

もしも、それに関する感想を述べろと言われたら

”やっぱり、1度でもやったらダメなんだと思う”

”ASKAさんはASKAさんなりに身体がもうボロボロでどうにもならなかったんじゃないのかな”

”ダメな事だとは思うけど、ものすごく難しい問題なんだと思う”

といった感じになるでしょうね。

もちろん、私は全く嘘はついてません。

本心です。

やっぱり、薬物は怖いと思ってます。

世の中から無くなればいいなあとも思っています。

ただ、もっと言えば、

ASKAが死んでも私はたぶん、たいして何にも思わない気がしています。

もちろん、ふーん、死んだんだ。やっぱり、薬物って怖いんだなー

くらいには思うでしょうけど。

まあ、言ってみれば、はっきり言ってどうでもいいことなんだと思ってるんだと思っているんですね。

大前提として、ASKAが生きてようが、死んでようが、シャブやってようがなかろうか

全国のシャブ中がどうなろうと、どうでもいいことなんだと思ってる。

たとえ、ASKAが死んでしまったとしても、

きっと、私の人生に多大な影響なんてものは一切与えないだろうと思えます。

その場で、泣き崩れることもないでしょうし、頭を抱えることもないでしょう。

いつもどおりの自分の人生を歩める自信があります。

ただ、あくままでも、感想を述べるとしたら、そうなるって話なんです。

それは、アフリカの難民をかわいそうに思うかといわれたら、

本当にかわいそうに思うっていうのと一緒なんだと思います。

それは、嘘じゃないけど、本心だけど、感想なんてものは所詮はそんなもんだと思います。

その程度のものでしかないんだと思います。

私は感想というものは、人が自分自身を形成するものかといえば少し疑問に感じます。

特に、他人事レベルの話の感想なんて、どれだけ自分を形成できるものなんだろうと思います。

もしも、感想を述べることで自分自身を形成することが出来たなら

感想文が得意な私は、人生の迷子にはならなかったでしょう。

きっと、ものすごく早い段階で、大人になれてたんじゃないかと思います。

 

私は、現在主に人間関係や自分自身のあり方に関する情報発信をしています。

ようは、人に関する悩みの情報発信ですね。

ではなぜ、私が情報発信の題材を人にしたかというと

私の人生が、人に悩まされることの多いものだったからだと思います。

別に、私は、重い病気で悩んだことも無ければ、多額の借金などで悩んだこともありません。

だから、そのことに対する感想や質問を述べることは出来ても、

自分の人生に関する、自らの問いというものがそもそも生まれないんですね。

 

私は、情報発信をするということや、自分自身を形成するということは

自分の人生に関する、自らの問いに関する自らの答えだと思っています。

そうして、その問いが生まれる背景には”深い悩み”というものが必ずあるんだと思います。

明るい文体や、明るいキャラで、情報発信をしている人でも、文章の中にしっかりとした

”人生観”や”あり方”のようなものが見える人は、きっと、どうしようもないくらい

”深い悩み”をもった過去があるんだと思います。

その悩みを何とか必死に人に頼らず、自分自身で解決するために、身体の中から発した言葉が

自らの問いに関する自らの答えなんだと思います。

それは、感想とは全く違う物だと思います。

そうして、その悩み深い人生の中で生み出した様々な言葉を様々な角度で、アレンジして読み手に

渡しているのが上手い情報発信者のように思います。

ただ、誤解をしてほしくないのが、感想を持つことが悪いことといっているのではないということです。

感想はあくままでも感想。

愛情深い感想なら誰かを励ますことになるかもしれませんし

我欲にまみれた感想は、ゲスで頭の悪いコメンテーターと一緒だし

そのどちらでもない場合は、なんだろう?

わかんないや(笑)

ただ、いずれにせよ、

自分の人生の非言語の言語化ではないということです。

すなわち、情報発信でもなんでもないということです。

身体がペラペラとしゃべるってことと、感想は違うことなんでしょうね。