なんか、この人には最初から深くかかわりたくない

って思ってしまう人っている。

私の場合は、

私に対して、ある種の依存心を感じる人が苦手なんだと思う。

でも、こちらがいくら気を付けていても

目をつけられることってある。

最悪でしかない。

そういうとき

いくら距離を測っても

ムダ。

いくらでも追いかけてくる。

ターゲットである間は…

 

依存心の強い人間は本当にめんどくさい

追い払っても追い払っても来るから本当にめんどくさいしたいへん。

それは、きっと

依存をしている限りはずーっと依存を生む

からなんだと思う。

これって

戦争をしている限りはずーっと争いを生む

ということにすごく似ている気がする。

めんどくさい。

だから、最初から関わり合いになりたくないと思ってしまうんだと思う。

こちらの境界線なんか、全く無視して入り込んでくる感じが”戦争をしている感じ”に似ていてすごく嫌なんだと思う。

そう、

依存心の強い人は、他人との距離感を取るのが上手くないんじゃないのかな。

たぶん

自分と他人との領域がかなりあいまいなんじゃないのかな。

だから

簡単に他人との境界線を無視して入り込んでくるんだと思う。

きっと

相手が自分に対してどんな感情を持っているんだろうとか

相手と自分がどんな関係性なんだろうとか

人間関係の相互性なんかわからないんじゃないのかな

ううん

もしかしたら

そんなものは、もともと、どうでもいいのかもしれない

”欲しいものが欲しい”

ただそれだけなような気もする

じゃあ

そこにあるのはなんなんだろう?

突き動かしているのはなんなんだろう?

感情なんだろうか?

ちがうんじゃないのかな…

きっと

”衝動”なんじゃないのかな

衝動が感情をはるかに凌駕している状態

ネガティブな衝動に飲み込まている状態

なんじゃないのかな

ようは

”かられる”ということは感情ではなく、もはや衝動なんじゃないのかな

そう考えると

”依存”の状態は衝動だから、なかなかどうにもならないんじゃないかと思ってしまう。

だってそれは、

食欲にかられた動物と同じに思えてしまうから。

きっと

食べないと死んでしまう精神状態なんじゃないかと思えてしまうから。

いったい、

動物が食べたいという衝動の前に感情がどれだけ働くんだろう

ネガティブな衝動が感情を凌駕する世界の中で信頼関係も愛もどれだけ入り込むんだろう。

それは、

人間の世界っていえるのかな…

わからない…

そもそも、

依存心に囚われている人が欲しがっているものって何なんだろう

他人の境界線をわざわざ無視してまで手にしたいものって何なんだろう

それは、

やっぱり

”自分の価値”

なんじゃないのかな。

きっと

自分は何者でもないと開き直れないから

何者でもない自分が不安で不安で仕方が無いから

”自分の価値”

に囚われるんじゃないのかな

だって

自分には価値があるときちんと思える人や

自分は何者でもないと開き直れる人は

そもそも

”自分の価値”

に囚われること自体が無いから

自分や他人に依存するといった

”自分”が、欲しくて欲しくてたまらない衝動にかられることもないんだと思う

”自分の価値”が無いことに不安感を抱いているから

依存することで、なんとか”自分”を得ようとするんじゃないのかな

そのためには

自分に依存して

自分に陶酔してラリってみたり

他人に依存して

優越感を得たいときは、相手を必死になってこき下ろし

劣等感を補いときは、相手に必死に媚びてものをもらおうとする

そりゃあね、

この世の中に

完璧な自立もないと思うし

完璧な平和は無いとは思うけれど

どうやったら、

少なくとも、自分に関係ない人に依存しないで済むかってことくらいは

視ようと思えば、いくらでも視れることんじゃないのかなって思う。

それは、

衝動にかられた状態ではなくて

衝動にかられた感情を”知る”ことでもなくて

冷静なときに感情を”視る”ことなんじゃないのかな。

自分の中にあるネガティブな感情を冷静なときに”視る”ことなんじゃないのかな

と思うんだけど、

まあ、でも

”冷静なとき”に”次の優越感”の準備を必死にしていたら

話しにならないんでしょうけどね。

だから、結局は

依存をしている限りはずーっと依存を生むし

戦争をしている限りはずーっと争いを生むと

いうことなんでしょうね。

そうして、

きっと、戦争を仕掛けてくる人間は、

絶対に何があっても、自分を顧みないというのが

”この世のからくり”なんじゃないのかなと思ってしまう

だって、負けたら終わりだもんね。