嫌いなものが似ている方がいいんじゃないのかな?

 

人間関係を築くには”好きなもの”が似ていることよりも”嫌いなものが”が似ていることの方が重要ではないのか?

私は、なんとなく、そのように感じています。

それは、私が、何だか人間関係で”しっくり”こないなあと感じる人は大体”嫌いなもの”が似ていない気が多いように感じているからです。

ただ、誤解をしてほしくないのですが

”嫌いなもの”が似ているというのは

他人のあげ足取りに必死になるような心の狭い人同士がつくるコミュニティに参加することをいっているわけではありません。

もちろん、人間同士ですので

事細やかに、”嫌いなもの”をあげればきりがありませんし

人は、それぞれに違う物だともわかっています。

私がいう嫌いなものが似ているというのは

例えるのなら

潔癖症の人は、汚いのが平気な人とは同じ家に住むのが難しいということです。

きっと、潔癖症の人というのは、お掃除が大好きといった”綺麗好き”ではなく

”汚い”ことが許せない人なんでしょうね。

両者は似ているような感じもしますけど、やっぱり違うように思います。

部屋が汚いといったことに関して、より”嫌悪感”を覚える人はどちらでしょう。

それは、やはり”汚い”ことが許せない人なのではないでしょうか。

ですから、

私がいう嫌いなものが似ているというのは

人間関係を築き上げていく上で、”引っかかるもの”や”許せないもの”が似ていることなんだと思います。

そうして、

これは、きっと、人によっても違うと思いますし、

ちがってもいいんだと思います。

潔癖症の人が間違っているわけでも、汚いのが平気な人が間違っているわけでもありませんしね。

どちらも、自分自身に合った”あり方”なのでしょう。

全然、間違いでも何でもありません。

ただ、同じ空間を共有できないということなのでしょうね。

 

自分自身の要素をよく知ることが大切なんでしょうね。

 

数年前の話ななりますが、会社に仲のいい同僚がいました。

仮に名前をYちゃんとします。

Yちゃんは、年齢は、私よりも10歳近く年下なのですが

年齢のことなんて気にならないほど、一緒にいて楽しい気持ちになりました。

私はYちゃんのことが大好きでした。

Yちゃんは、明るく、楽しく、おしゃれで面白いだけではなく

少女漫画や韓流ドラマといったロマンチックなものが大好きな女の子らしい可愛い一面を持った女性でした。

そうして、会社でも、立てるべき人は立てる、ところかまわずに我を出すことを良しとしない

処世術をも感じられる女性に思えていました。

決して、バカな人には思えませんでした。

ただ、彼女も”かまってちゃん”なところのある女性でした。

彼女の”かまってちゃん”は、普段、会社ではそんなに顔を出さないのですが、

まあ、出る時もあるんですね。

ある時、会社での飲み会での席で

新入社員のTちゃんを多くの男性社員が囲んで楽しそうに、話しているのを見て

Yちゃんは、

「ああいうの見てたら、すっごいムカつく。イライラする。Tが必死に媚びてるように感じる」

っていうんですね。

悪意の水をこちらに向けてくるわけです。

なんだか、べったりしたものを感じたので

まあ、でもこちらは無視ですよね。

関わりたくない。

どうでもいい。

ある時は、これまた違う派手目な新入社員が入社した時

「私、ポジション取られてないよね」

と、勢いよく、まじめに聞いてくるのです。

まあ、でもこちらは無視ですよね。

関わりたくない。

どうでもいい。

そんことよりも

Yちゃんの内面が、思っている以上に”他人にどう思われいるか”ということに囚われていることに驚いてしまいました。

だって、彼女は一見しっかりしているように思えましたし、落ち着いた人のようにも思えていました。

でも、

実際は違ったんですね。

彼女も

”可愛がられることでいろいろと安心がしたい”

”可愛がられることで自分で自分のことを大好きになりたい”

といった思いの強い女性だったのでしょう。

そうして、

そんな彼女を

関わりたくない。

どうでもいい。

といった感じで無視する私との間で、段々と溝が出来ていってしまったのです。

そう

彼女の私に対する当たりが強くなってきたんですね。

そうすると

私も当たりが強い態度をとってしまうようになってくる。

すると

心が離れていくようになってしまい

最後は、ある決定的な事が起きてしまい、

それ以来、関係を断ってしまったということなのです。

でもね、

これって、結局、Yちゃんが私に必要以上のものを期待しすぎなんじゃないのかなって思うんですよね。

そう、

親友に求めるような条件をただの仲のいい同僚に求めるから話がややこしくなると思うのです。

Yちゃんが”許せない”と思うような価値観を一緒に共有できる人を親友にしたらいいだけの話で

なぜ、私にそこまで求めるんだと思ってしまうんですよね。

同じようにYちゃんと、ポジションを目指し、そのポジションを死守していこうとする人を親友に選べばいいだけの話なんじゃないのかな。

だって、ポジションを奪われることがYちゃんにとっての許せないことなんだから。

もちろん、そのことでなにか”いじめ”的な事に発展するのはよくないことだとは思いますし、

Yちゃんも、ムカつくからといって、Tちゃんとか新入社員をいじめたりするいうな子じゃないんですね。

だから、すごくいい子なんですよね。

これは、前回のブログに登場したSちゃんにもいえることだと思うのですが

親友になりたいからといってなれるもんじゃないし

かまってもらえたから、仲が良いわけでも無い

での、このことがSちゃんにもYちゃんにも通じるのかがそもそもわからない。

だって、Yちゃんにしたら、”なんで私をわかってくれないの”とかいう話になるんでしょうし。

Yちゃんにしたら、私は冷たい人なのかもしれませんしね。

でも、これって、お互いが人間関係を作り上げるうえで要素となる部分が違うだけの話なんですけどね。

だから、Sちゃんが悪くないのと同様にYちゃんだって悪くないんだと思います。

きっと、自分という人間の内面の”要素”を自覚して、受け入れて、他人との距離感さえ間違えなければ、いいだけの話なんだと思うんですけどね。

だって、2人とも、別に今のままでも、たくさんいいところがある魅力的な人なんですもの。